ベルギー ブラッセル日本人学校小学部 6年 妹尾 葵子
今年の春、私は初めてピアノの国際コンクールに出場した。父の海外赴任でベルギーにきて約3年、日本で3才から習ってきたピアノをベルギーでも続けてきた。ここまで続けてこられたのも、尊敬できる先生と出会えたからだと思う。
その先生が、日本に帰る前に音楽の本場ヨーロッパでのコンクール出場をすすめてくれた。私は最初、コンクールなんて日本でも経験がなかったので、少し不安だった。ましてや、言葉の通じない国で、日本人の演奏を受け入れてもらえるのだろうかと、自信がなかったのだ。そんなとき、先生の「音楽は世界共通よ」のひとことで背中をおされ出場を決めた。
厳しい練習を重ねて迎えたコンクール当日、たくさんの出場者の中、やはり日本人は私だけだった。大きなホールに大勢の観客。昨日までの希望に満ちた明るい気持ちが、どんどん暗い雲におおわれていくように感じた。
控室に入ると、順番を待つライバルたち。
(フランス語?ドイツ語?何を話しているのだろう……)
私は一人うつむいて、楽譜を見ながら震える指を動かしていた。そのとき、
「クツ、カワイイネ!」
一人の女性スタッフが笑顔で話しかけてくれた。思いがけないカタコトの日本語に驚いて顔をあげた私は、彼女の笑顔につられるかのように笑顔になり、
「サンキュー。」
と答えた。
そんな彼女のひとことで、カチカチに凍っていた私の心がほんのりと温かくなり、肩の力が抜けていくのがわかった。それと同時に、さっきまでモノクロに見えていたまわりの景色が、パッとカラーに変わった気がした。その後も彼女は私のことを気にかけてくれ、やさしくアテンドしてくれた。
そして、いよいよ私の番。彼女が笑顔で、ゆっくりうなずいてステージに送り出してくれたおかげで、私は落ち着いて穏やかな気持ちで演奏にのぞむことができた。
あんなに震えていた指も、滑らかにいつも通り動く。私は最高の気分で全力を出しきった。
演奏を終えると、今まで受けたことのない大きな拍手が私を包みこみ、客席にいる外国人の方々の笑顔が目にとびこんできた。深々とおじぎをしてステージを降りると、あの女性スタッフも笑顔で拍手しながら迎えてくれた。
私はもっと彼女にお礼を言いたかった。感謝の気持ちを伝えたかった。「あなたのおかげで後悔しない演奏ができました」と。でも、私の語学力では「サンキュー、メルシー。」……。それが精一杯だった。席にもどり、母にステージ裏でのできごとを話し、お礼の言葉が満足に言えなかったことを残念がった。でも母は、
「あなたの演奏を聴いて、きっと感じてくれているわよ。」
と言った。「音楽は世界共通」。先生の言葉を思い出した。ミスなく、リラックスした音が彼女に届いていれば、伝わっていれば、それでいいのかもしれない。
結果、私は優秀賞をいただいた。すべては、一人ぼっちの日本人の女の子を気にかけてくれたやさしいひとことから始まった。
「クツ、カワイイネ!」
あのときはいていた黒い靴は、日本に帰ってもずっと私の宝物となるだろう。
審査員コメント
異国で迎える初めてのコンクール。ざわざわとした控え室の中で震える少女。凍り付く心を溶かしたのは、かたことの日本語でした。重圧から解放された作者の伸びやかな演奏と大きな拍手。音と映像がまざまざと浮かび上がってくる作品です。妹尾さんは、次は私が外国人に親切にしたいと語っています。2020年に日本は五輪を迎えます。「おもてなし」の第一歩は相手を気遣うこと。ほんのささいな声がけだけでも、人を助けることができるのです。