入賞【中学生の部】
靴をそろえる気持ちから
東京都 東京学芸大学附属国際中等教育学校 二年 神尾恵美
「竜退治の騎士になりたければ、あなたが用をすませてトイレから出るとき、あな
たのはいたスリッパはもちろん、すべてのスリッパを、つぎにつかう人がはきや
すい向きに、きちんとそろえるのです。」
「小さな親切」とはどういうことか……いろいろ考えていたとき、私はふと、以前に読んだ本『竜退治の騎士になる方法』(岡田淳作)に、こんなセリフがあったことを思い出した。
竜とは、とげとげしたり、よそよそしかったりする、人々の心の象徴として登場する。夢のような世界で、竜を退治した騎士が言った言葉だ。スリッパをそろえながら、人の気持ちになって考えてみることが、とげとげした気持ちをなくしていくのではないか、と強く心に残る物語だった。
「小さな親切」とは、相手の気持ちや状況をちょっと考えてみたときに、その人のためにやってあげられる心遣い、そして、それは人とのつながりの中で、みんなが心温かくなることだと思う。
夏休みに、部屋の改装をするために、家に大工さんが来ていた。さまざまな道具や材料を手にかかえてくる大工さんは、靴をそろえることが困難である。そういうとき、母はいつも大工さんの靴をそろえ、次にはきやすいようにしていた。私は、靴が逆向きになっていることすら、気づいてなかったのに、母はそれに気づき、向きを直す心遣いをしていた。
私は、自分の脱いだ靴でさえも、そろえることをよく忘れる。家に上がるとき、早く休みたいし、手もふさがっているし、つい忘れてしまう。気づくときもあるけれど、「面倒くさい」「また今度、気をつければいい」という気持ちに、負けてしまうのだ。翌朝、そろっている靴を何気なくはいて、学校に行っていたことに、私は気づいた。
また、いざ親切をしたいと思っても、勇気がなく、人の目が気になることがある。電車で、お年寄りに座席をゆずろうか……、行動できないでいたとき、前に座っていた若い男の人がさっと立って、さりげなく席をゆずっていたことに感動したことがあった。
なぜ、あんなにさりげなく自然にできるのだろうと、その人をしばらく見ていた。周りの空気が和やかになった感じがした。「親切をする」というのは、まず、自分の心を開く勇気がいるのだと思う。
次の人が使いやすいようにスリッパや靴をそろえるということは、後から使う人の気持ちを考えること。その思いやりや気持ちは、「小さな親切」の心のひとつだと思う。家族しかいない我が家で、靴やスリッパをそろえられないなら、もっと大勢の人の目があるところで、親切はできない。
まず、自分の靴、そして家の玄関にある靴をそろえることから、「小さな親切」をしていこう、と思う。
受け継いでいく「親切」
千葉県 専修大学松戸中学校 一年 赤石玲子
「すいませんねえ。つつじ祭りに行きたいんだけど、根津神社ってどう行けばいいのかしら。」
「私もちょうどそっちまで行くので、一緒に行きませんか。」
「あら、ありがとう。」
それは、私が小学校六年生のときのことでした。私の家の近くにある根津神社はつつじの名所で、つつじ祭りの季節になると、近隣からたくさんの見物人が訪れます。この日出会った人たちも、そういった観光客らしく、手に観光マップを持ってウロウロしていました。根津神社に向かう五分程の道を、二人のおばさんと話しながら歩いて行きました。
神社の門の前でお礼を言われ、別れた私の背中ごしに、こんな言葉が聞こえてきました。
「今どき珍しい、いい子ねえ。」
そのときは、ほめられたことが嬉しく、親切にしてよかった、と思いました。しかし、だんだんと引っかかってきました。「今どき珍しい」って、さっきの行為は珍しいことなのでしょうか。自分では、ごく普通のことだと思っていたのに。
「今どきの子」は、こんなちょっとしたこともできない、と思われているのだろうかと、何だか憂鬱になってきてしまいました。
でも仮に、あの人たちが、若い人にあまり親切な行為を受けたことがないのだとしても、若い人に親切な心がないわけではない、と思います。単に、年上の人と話すのに、なれていないのではないか、と思います。
最近はマンション住まいの人が増えて、ご近所とか町内会とか、そういうつきあいがあまりなくなって、人と話す機会が減ったのも関係しているのではないか、と私は思います。しかし、気持ちがあっても行動を起こさなければ、誰にもその心は分かりません。
東日本大震災をきっかけに、忘れかけていた日本人の優しさがとり戻されつつある、とよく言われています。被災地における譲り合いの精神や、ボランティアにかけつける人の多さにも、それは表れています。
そのボランティアでは、若い人たち、そう「今どき」の人たちも、大いに活躍しているのです。世界中から脚光を浴びた「親切な日本人」の伝統は、若い世代にもちゃんと受け継がれているのです。
いざとなれば行動に起こせる潜在能力を持っているのだから、日頃ちょっとしたことを、少しの勇気を持って始めてみるのがいい、と思います。その、小さな親切の積み重ねが、やがて日本を大きな優しさで包むことになる、と思います。
小さな力を大きな力に
千葉県 第五中学校 一年 国分麗奈
私は、友達とショッピングモールに来ていた。二階に友達が、一階の食品売り場に私がいて、いつものように買い物をしていた。レジはとても混んでいて、早く早く、と、友達のいる二階へ早く行きたかった。
やっと自分の番だ、と思ったが、前にいるおじさんが、お金が足りなかったらしく、店員と買わない物を決めていた。しかし、私は変だ、と思った。なぜなら、おじさんのお財布の中に、五千円札が残っていたからだ。
どうしてお金は足りるのに、買いたかった物を取り消したのだろう。友達のことも忘れ、自分の番がやっときたのに、私はじっとおじさんを見ていた。後ろから見ると、そのおじさんは髪がうすく、真っ白で、背中は曲がっていて、ご年配の方だった。
「お客さん、お客さん。」
ボーッとしていた私は、店員のレジのお姉さんに呼ばれ、お金をはらい、買い物カゴを持ち、おじさんの横にカゴを置いた。さっきのことが気になって、ついついおじさんを見てしまう。
袋に買い物をした物を入れ終るころ、おじさんは、まだ買い物した物を袋に入れていた。私より買い物の量が少ないのに。おじさんは、お財布をポケットから取り出した。何をするのかと見ていたら、お財布から五千円札を取り出し、おじさんの目の前に置いてあった募金箱に入れた。
すると、おじさんは、私が見ていることに気付き、
「この五千円札、家や家族のいない人たちのために、使われるんだよ。」
と言い、ほほ笑んで帰って行った。
おじさんは弱々しく、ゆっくり歩いていたが、私は、周りを気にせず募金箱を見た。募金箱には、「東北地方太平洋沖地震義援金」と書いてあった。よく見ると、千円札は数枚入っていたが、五千円札は、おじさんのだけが入っていた。
くしゃくしゃの五千円札だったが、すごい、と思った。おじさんは、買いたい物をがまんしてまで、募金した。あのおじさんが、すごくかっこよく思えた。
私は、おじさんを見て、いろいろなことに気付かされた。この地震で何もかもなくなった人たち、生きている意味がないと思う人たち、家族をなくして絶望してしまった人たちがいる。私たち日本人が、一人一円寄付をすれば一億円、一人百円をきふすれば百億円もの義援金を送ることができる。
だから、皆も考えてほしい。今自分たちが、一人一人出来ること、募金、節電、寄付などたくさんある。一人一人がやれば、大きな力になる。自分が、日本人の大切な一人であることを、忘れないでほしい。
小さな力を、大きな力に。
思い合い、支え合うこと
神奈川県 柿生中学校 一年 大薗涼音
私は、「小さな親切」というテーマを聞いて、兄のことが思い浮かびました。
私の兄は病気をしていて、車イスを使っています。私も、兄の車イスを押して、よく一緒に出かけます。すると、いろいろ困ったことや、周りに迷惑になってしまう場面があります。
例えば、道を歩いているときも、そんなに速くは押せないし、幅があるので歩道をふさいでしまうようなこともあります。エレベーターや電車でも場所をとるので、混んでいるときなど、申し訳ないと思います。
少しの段差でも通れないし、狭い入り口も通れません。いつものことですし、慣れているつもりでも、兄と出かけるときは、それなりの覚悟がいります。私は、周りの人から見て、車イスは迷惑に思われても仕方がないと感じます。
ところが、親切に声をかけてくれる人もたくさんいます。道を開けてくれたり、エレベーターに乗るとき、少しずれてくれたり、「開」のボタンを押し続けてくれる人もいます。お店に入るときなど、ドアを押さえてくれたり、電車で場所を開けてくれたり、席をずれてくれたりします。階段で、「大丈夫ですか?」と、声をかけられたこともありました。
どの人も、自分の出来ることをしてくれていると思います。いかにも、してやっているみたいな態度だと、こちらも嫌な気持ちになってしまうと思います。けれど、どの人も自然体で、本当に心から親切にしてくれていると感じるので、素直にありがとうございます、という気持ちになります。「小さな親切」とは、こういうことではないのでしょうか。
何かしなくちゃいけないと思うと、そのことばかりが気になって、何をしたらいいか分からなくなってしまいそうです。何かしようと構えるのではなく、そのとき自分が出来ることをすれば良いのだ、と思います。
そうはいっても、知らない人に声をかけるのは勇気がいるし、友達でも余計なお世話と思われるのは嫌だし、と色々頭の中で考えてしまいます。でも、親切にしてもらって嬉しい気持ちはよく分かるので、自分に出来ることから少しずつやっていきたい、と思います。
実は先日、学校の帰り道、荷物を持ったお年寄りを見かけました。私は、そのとき少しでも運べればと思い、勇気を出して声をかけました。その人は明るく、
「大丈夫。ぼちぼち行きますから。ありがとう。」
と言ってくれました。私は、ありがとうと言われ、とても嬉しかったです。声をかけて良かったな、と思いました。
「小さな親切」とは、相手を思い合う優しい気持ちから始まる、と思います。私は、障害のある人もない人も、お年寄りも小さな子も、みんなが相手を思い合い、支え合って生きていける世の中が良い、と思います。
周りを温かくする親切
新潟県 宮内中学校 二年 穂苅 茜
母と買い物に行ったときのことです。お店の近くの横断歩道を渡り終わろうとしたとき、私の後から、
「どうした。大丈夫?」
という声が聞こえてきました。後ろを振り返ると、男性が道路の真ん中を見ていました。その人の視線の先を見ると、若い女性が一人、車を押していたのです。声をかけた男の人は、すぐに女性の車のところへ行き、
「あんたは車に乗って、ハンドルを動かして。」
と言うと、一緒にいた他の男性と車を押し始めました。車はすぐに動き、安全な場所まで移動することができました。
私たちは、歩きながらその様子を見ていただけですが、なんだか心が温かくなりました。母も、
「私たちまで嬉しくなるね。」
と言っていました。女性は一人だったので、きっと心細く、どうしようかと思っていたことでしょう。そのようなときに、「どうした。大丈夫?」と声をかけてもらえて、本当に嬉しかっただろうと思います。
私はこのとき、「私にも嬉しかった出来事があったな」、と思い出しました。小学校一年生のときの学校の帰り道、体の小さかった私が、たくさんの荷物を持って重たそうに歩いていると、
「荷物、持ってあげるよ。」
と、一緒に歩いていた二年生の友達が、荷物を持ってくれたのです。そのときは、とても嬉しい気持ちになりました。また、夏の暑い日の帰り道には、友達の家の前で別れようとしたとき、
「ちょっと待ってて。」
と、友達が家の中に入って、
「はい、麦茶飲んで。」
と、冷たい麦茶を持って来てくれたこともあります。冷たい麦茶はとてもおいしく、家まで、また元気に歩いていくことができたこともありました。私も小さいときから、周りの友達に助けてもらっていたことを、改めて感じることができました。
母と一緒に見た男性の親切は、親切にしてもらった本人だけでなく、周りで見ている人まで嬉しく、優しい気持ちになれる思いやりが込められた親切でした。このことから、人に優しくしたり、困っている人を助けるというのは、その本人だけではなく、周りの人の気持ちまで温かく、やさしくしてくれることがあるのだ、ということが分かりました。
私も、あの日見た男性のように、困っている人を見たら、自然に声がかけられるようになりたい、と思います。
国境を越えた親切
岐阜県 東長良中学校 二年 武藤 遼
私は今年の夏、初めて中国へ海外旅行に行きました。行く前は楽しみな気持ちの反面、日本語が通じない中で、気持ちや思いを伝えるのは大変だろうという不安もありました。
しかし、その思いをすぐに消してくれたのは、観光ガイドの邢(けい)さんとの出会いです。
邢さんは、最初から流暢な日本語を使いながら、私たちに中国の話を色々として下さいました。積極的に多くの人とコミュニケーションを取り、すぐに私たちに溶け込んだ邢さんは、観光客の手となり足となって動いていました。
私が日本へ国際郵便を出そうとしたときには、「時間の都合で今は無理。」と言うホテルのフロントの方へ、交渉して下さいました。また、帰りの飛行機で、母と私の座席が離れ離れになってしまったときには、すぐに空港の窓口へ飛んで行って、座席を隣同士に変更して下さいました。
邢さんは、いつも観光客全員に気を配り、困ったときには「オッケー、大丈夫!」と、必ず助けて下さる頼もしい存在でした。
そんな邢さんが、突然最終日に、自分が観光ガイドの職業についた理由について話を始めました。もともと邢さんは、戦時中の出来事から、日本に対してあまり良い印象を持っていなかったそうです。しかし、三年間の日本留学で、その気持ちが少しずつ変わっていきました。
特に印象的だったのは、アルバイトの面接の場所が分からなかったときのこと。見知らぬ日本人に行き方を尋ねたところ、その人は分からなかったけれど、その息子さんが自家用車で、自転車の邢さんを現地まで先導して連れて行ってくれたそうです。
そのときから、邢さんの日本人に対する印象はガラリと変わり、日本人が好きになりました。その後も、親切な日本人との出会いがたくさんあったそうです。そして、帰国後も日本人と関わる仕事をしたいと思って、日本人向けの観光ガイドという職業を選択しました。
この仕事に就いて九年経つそうですが、とても充実した毎日だそうです。邢さんは、日本人から親切にされたことをずっと忘れないで、今は私たち日本人に親切に接して下さっています。
私は、「親切」とは国境を越えて、人から人へと広がっていくものであると感じました。今回の旅行を終えて、私は将来、まだどのような職業に就くかは分かりませんが、邢さんのように、国境を越えた親切を行えたらいいな、と思っています。
不思議な話ですが、元々私の名前「はるか」は、海外へ留学経験のある両親が、「はるかかなたの外国と日本の架け橋になれますように」という願いを込めて、つけたそうです。
私は旅行中、中国人に親切にされたときは、中国語で「謝謝(シェイシェイ)」と伝えることを心掛けていました。一見、無表情で事務的な中国の方でも、感謝の気持ちを伝えると、ニコッと笑顔になってくれます。
言葉は通じなくても、「親切」は世界共通のもの。だからこそ、常に思いやりの気持ちを持って人に接したり、感謝の気持ちを表したりすることが大切なのだ、と感じました。
言葉の親切
岐阜県 鵜沼中学校 三年 服部里帆
「それは、親切とはいわないよ。」
と、ある老人施設で言われたこの一言に、私は悩まされた。
歩行のリハビリ中のAさんは、ふらふらと歩き、今にも倒れそうだ。他人事のように、大変そうだな、と思いながら見ていた。そんなことを考えていたら、A子さんが、私を見て、
「ちょっと手を貸してくれるかい。」
と言った。すかさず私は、親切のつもりで、Aさんのリハビリの介助をさせて頂いた。しかし、作業療法士の方は、Aさんに、
「Aさん、自分でやらなきゃ意味ないよ。もう少し自力で頑張ってみましょう。」
と声をかけ、ボランティアである私に、
「すぐ手伝っちゃうと、リハビリにならないんだよ。親切が、ときには出来ることを奪っちゃうからね。」
とアドバイスを下さった。その言葉は、とても衝撃的だった。私は親切のつもりでも、Aさんにとっては回復を邪魔されたようなものなのだ。私は、どうすればAさんのためになるのか考えた。
中学二年生のとき、卓球部である私は、後輩の試合を見ていた。一緒に見ていた顧問の先生や先輩は、技術のアドバイスだけでなく、気持ちで負けないように、大きな声で応援していたことを思い出した。これだ、と私は思い、Aさんに、
「頑張って下さい。あと三メートルぐらいで終わりですよ。」
と、声を出して応援した。Aさんは、私の声に応えるかのように、自らリハビリに励んだ。リハビリ後、Aさんは私に、
「応援のおかげで、頑張れたよ。ありがとう。」
と言って下さった。私は、やっとAさんに対して親切にすることが出来たのだ。
このようなことは、老人施設でなくてもよくあることだ。「面倒くさがって、自分の仕事をしない人」の代わりに、仕事を肩代わりする光景は学校でも見られる。「肩代わりする人」は親切のつもりでも、実際はどうなのだろうか。たぶん、「肩代わりしてもらった人」は、何でも人に頼り、将来自分では何も出来ない人間になる確率が高いだろう。
そう考えると、この行動も親切とはいえない。この場合も、Aさんのときのように、「自分で頑張ってみよう」という応援の言葉を送って、初めて親切をすることが出来たといえるのではないだろうか。
このように、困っている人を助ける行動も親切だが、自分で出来ないと諦めかけたり、無理だとくじけそうな人に対して、声をかけて後押ししてあげることも小さな親切だ、と私は思う。
わたしのうけた「小さな親切」
長野県 筑摩野中学校 一年 蓬田真菜
「長野県に来て良かった、と思えるよう生活しましょう。」
それが、私たち家族の約束でした。
七月四日、私たちは福島県から長野県松本市へ引っ越してきました。はじめは、福島県から来たということで、放射能が危ないとか、原発のところだとか、いろいろ聞かれてしまうかな、と不安でいっぱいでした。
その他にも、友達ができるのかな、勉強ができるかなと気持ちが沈んでいました。学校へ登校する日、重い足どりで学校まで行きました。教頭先生や校長先生にあいさつをし、一年五組の教室へと足を進めました。
教室へ入った瞬間、ここが私のクラスなんだ、と思いました。自己紹介をし、机に座り、緊張していた私は、となりの子から自己紹介をされて、名前だけを言いました。
そこで、となりの子に、
「どこから来たの?」
と言われたとき、ドキッと一瞬心臓が止まりました。私が、一番恐れていた言葉だったのです。そして、私は勇気を出し、
「福島県です。」
と言うと、となりの子は、
「地震、大丈夫だった?」
と心配してくれました。私はそのとき、とても嬉しくなりました。その他のクラスメイトも私に近づいてくれて、お話をしたり、学校案内をしてもらったりと、たくさん親切にしてもらいました。
私はそのとき、長野県っていいな、松本っていいな、と思いました。みなさんは、私に優しく接してくれて、友達も出来て不安がきえました。家に帰ったときには、早く学校へいきたいな、と思うようになりました。
その次の日から、楽しく学校へ通えるようになり、部活動も始め、楽しくて楽しくて充実した毎日を過ごせました。
夏休みに入り、部活動を毎日行い、夏祭りや部活動の大会などの行事にも参加し、とても楽しい日々を過ごしました。でも、ふと福島の友達の顔を思い出すときがあり、「私だけ幸せでいいのかな?」と思い、落ち込んでしまいます。
そのとき、夕日が沈んでいく山を見ると、ほっとするというか、安心するというか、心が穏やかになります。まるで、山が「大丈夫だよ。大丈夫だよ」と、私たちを見守ってくれているようで、自然からも愛情をすごくもらったように思えます。
これから、私は本当の意味の親切とは何かを考えて、自分なりの親切をしていきたい、と思っています。そして、こんな気持ちにさせてくれた長野県の自然やみなさんに、感謝を伝えたいと思います。
長野県、ありがとう。松本市、ありがとう。筑摩野中学校、ありがとう。
