入賞【小学生の部】
お兄ちゃんの勇気
青森県 三戸小学校 四年 山田大翔
ぼくが、二年生のときのことです。お母さんに、
「回らん板をおいてきてちょうだい。」
とたのまれました。ちょっとしてから、お兄ちゃんと回らん板をおきに行くことにしました。お母さんたちは、もう畑へ行って、家にはだれもいませんでした。
お兄ちゃんと歩いて行くと、お兄ちゃんが、
「だれかたおれている。」
と言いました。遠くから見てみると頭から血を流して、近くのおじいちゃんがたおれていました。道路には、血も流れていました。ぼくは、とてもこわくなりました。お兄ちゃんが、
「だれかをよばないと。」
と言いました。でも、ぼくはこわくて、
「見てないふりをして行こう。」
と言ってしまいました。お兄ちゃんは、
「ダメだって。」
と言いました。ぼくは、
「お母さんをよんでくる。」
と言いましたが、家にはだれもいないことを思い出しました。だから二人で、近くの家に人をよびに行きました。
「ごめんください。」
とさけんでも、だれもいませんでした。つぎの家に行って、
「ごめんくださーい。」
とさけんでも、だれもいません。三けん目もいなくて、四けん目の家にちょうどおじいさんがいて、お兄ちゃんが、
「道路に人がたおれています。」
と教えました。ちょうど道路を通った人も気がついて、役場の人が救きゅう車をよんでくれました。
ぼくは、何けんも走って回ったので、とてもつかれました。たおれていたおじいさんは、足が不自由なのに外に出て転んで、おでこを切ったみたいです。
何日かして、けがをしたおじいさんのおばあさんが家に来て、
「おかげで、おじいさんは、すぐにたいいんできたよ。本当にありがとう。」
と、おにいちゃんとぼくにお礼を言っていきました。ぼくはちょっとうれしくなりました。でも、本当はこわくてにげたかったけれど、お兄ちゃんと一緒に何けんも家を回って、人をよぶことができてよかった、と思いました。お兄ちゃんは、お母さんに、
「いいことができて、よかったね。」
と言われました。お兄ちゃんは、
「とうぜんのことだ。」
と言っていました。
お兄ちゃんの勇気をみならって、困っている人がいたら親切にしようと思います。
私が役に立てること
青森県 蟹田小学校 六年 高畑風詩華
三月十一日に東日本大震災があった。私たちは、教室で勉強をしていた。小さなゆれから、だんだん大きくなっていき、それは自分の体験した地震の中で、一番長く続いた地震だった。
クラスの男子の一人がこわがっていて、机のあしにしがみついて泣きそうな顔をしていた。担任の先生が、その男子に声をかけていたけれど、私も怖くて泣きそうになるのを必死にこらえていたので、何を言っているかは分からなかった。
家に帰って、ラジオを聞いていたら、その地震がマグニチュード9.0の大地震だったことが分かった。特に被害が大きかったのは、岩手県と福島県と宮城県で、地震の影響で大津波が発生し、家族とはなれてしまったり、家をなくしてしまったり、食べ物が無かったり、不自由なくらしをしている。
それを知った世界中の人たちは、被災地の人たちのためにボランティアをしたり、募金をしたり、使えそうなテレビを送ったりして、全力をつくしていた。すごい、と思った。
私の住んでいる青森県では、毎年ねぶた祭がおこなわれているが、今年のねぶた祭では、被災地をはげますための工夫がたくさんあった。ねぶたに、「がんばろう東北」と書いてあった。かけ声は、
「ラセラーラセラー、がんばれ青森」
「ラセラーラセラー、がんばれ岩手」
「ラセラーラセラー、がんばれ秋田」
「ラセラーラセラー、がんばれ宮城」
「ラセラーラセラー、がんばれ山形」
「ラセラーラセラー、がんばれ福島」
「ラセラーラセラー、がんばれ東北」
と、応援していた。また、すごい、と思った。
募金も、一人一円でも百人いれば百円になるし、千人いれば千円になる。小さな声も、みんなで出せば大きな声になって、被災地に届く。何百人、何千人の多くの人が集まって、一人ひとりの気持ちが大きな大きなボールになって、被災地に届いている。やっぱり人の力って、すごいんだなと思った。
私は、そんな日本がすごい、と思っている。そして、日本を助けようとしてくれる外国も、日本と同じくすごいなあって思う。
私も小さな一歩として、お店の募金箱に一円でも、十円でも入れてみようと思う。そして、復興の役に立ちたい。
おばあちゃんの親切
秋田県 大湯小学校 五年 栁沢雄大
ぼくは、おばあちゃんの言っている言葉がうるさいとか、おせっかいとしか、思ったことがない。お母さんには、
「ちゃんと話を聞きなさい。」
とか、
「なんで、おばあちゃんの言うことを聞かないの。」
とか言われる。でも、ぼくはやっぱりおばあちゃんの言っていることが、おせっかいにしか聞こえない。でもそれが、親切に聞こえるときがある。それは……。
ある大雨の日、友達の家に遊びに行った。かさはさしていたが、水たまりにはまって、足がびちょびちょになってしまった。友達の家について、くつをぬいで家に入ろうとすると、ぼくの足からとんでもなく臭いにおいがした。ぼくは、友達に、
「お前、足くさっ。」
と言われた。周りにいた友達の家族に笑われて、とてもはずかしかった。
そして、帰るときぼくは、あることに気がついた。それは、くつがびしょぬれだということだ。くつ下は、友達のお母さんがかわかしてくれていたけれど、くつがびしょぬれだと、せっかくかわかしてくれたのに意味がない。
このときだ。おばあちゃんのある言葉が、頭にうかんだ。それは、家を出る前だ。ぼくがげんかんを出ようとしたとき、おばあちゃんが、
「雨がふっているんだから、かえのくつ、かえのくつ下を持って行きなさい。」
と、言われたことだ。そのとき、ぼくは、
「うるさいなあ。いってきます。」
と言って、無視して、家を出てきてしまった。
ぼくはこのとき、おばあちゃんが今まで言ってくれていたことは、おせっかいではなくて、ぼくへの親切だったと分かった。
家に帰ると、おばあちゃんがげんかんに立っていた。そして一言、
「だから、持っていけと言ったでしょ。」
ぼくは、本当にうるさいなあ、と思った。けれど、心の中では、「ありがとう」の一言を言いたいと思っていた。でも、ぼくはなかなか言い出せなかった。そのまま、一分以上も言い出せなくて、ぼくはそこであきらめてしまった。
それからずっと心の中が、もやもやしている。今でもそうだ。そう、この作文を書いている今でも。おばあちゃんに一言、「ありがとう」を言いたい。
ぼくは、待ちどおしい日がある。それは、心のもやもやがなくなる日だ。その日になったら、おばあちゃんに言いたい。
「ありがとう」の一言を。
ふじ山がわらった
山形県 長井小学校 二年 川村理子
「ふじ山には、テレビやタイヤ、トイレまでおちています。」
わたしは、テレビで聞いたとき、なんでこんなものまでおちているのかな、とびっくりしました。
そして、今年のなつ、かぞくでふじ山の五合目まで行きました。山を登っていると、たくさんの人がビニールぶくろをもって歩いてきました。その中の男の人が、わたしにあいさつをしてくれました。わたしは、どきどきしましたが、
「こんにちは。」
と、元気にあいさつをしました。そして、
「みなさんで、ごみをひろっているのですか。」
と聞いたら、
「ふじ山をきれいにする会で、五十年以上もごみひろいをつづけているんだよ。二千人くらいでやっているよ。」
と教えてくれました。そして、そうっとあく手をしてくれました。あとで、その人は、日本のしぜんのことを一ばんまもってくれている、かんきょう大じんだということを、お父さんに聞きました。
人のごみでも、ふじ山のごみを一つのこらずひろっていることがすごい、と思いました。あく手の中には、日本一のふじ山を日本一きれいにしてね、という気もちがこもっていました。
わたしもまねしよう、と思いました。そうしたら、今まで気づかなったおちているごみが、よく見えるようになりました。ふじ山には、トイレはおちていなかったけれども、あめのふくろや、たばこがいっぱいおちていました。
ごみひろいをすると、ふじ山がきれいになってすっきりするな、と思いました。ふじ山もよろこんで、にっこりわらっているように見えました。わたしは、じぶんのすんでいる長井の町はどうかな、と思ってかえってきました。
ラジオ体そうのあと、ヨークベニマルのちゅう車じょうのごみをひろいました。すごくいっぱいのごみがあって、とてもがっかりしました。ふくろの中にはいるかな、と思いました。あきかんやおかしのからで、ふくろがいっぱいになりました。ごみを、ちゃんとごみばこにすててほしいな、と思いました。
でも、ごみをひろいおわったら、
「すごくきれいになったね。ありがとう。」
と言われて、心がポカポカしてきました。きれいになって、わたしまでうれしくなりました。
今までごみがおちていても気にしないことが多かったけれども、ごみをひろうといいことがたくさんあることに気がつきました。あんしんしてたのしい生活ができるし、ひろったごみもよろこんでいるみたいです。
これから、わたしにできることは、ごみをしっかり分けてすてることです。もし、おちていたら、すすんでひろいたいと思います。一人でひろうより、みんなでひろって、もっともっときれいな町、長井になるといいです。
ごみをすてないで
山形県 塩井小学校 三年 齋藤帆野花
わたしは友だちと五人で、友だちの家の周りや公園のごみひろいをしました。
道路や橋には、たばこのすいがらや紙きれなどがたくさん落ちていました。公園には、おかしのごみや空きかんが落ちていました。たった十分くらいだったのですが、びっくりするくらいのごみが落ちていました。
ひろっているとき、遠くの方で自転車に乗った高校生みたいな人が、おかしのふくろをすてて行きました。わたしたちは、
「すてないで。」
「待って。」
と言って、おいかけました。けれど、自てん車のお兄ちゃんは、走って行ってしまいました。
しかたなく、わたしたちがひろいました。とてもかなしい気持ちになりました。わたしは、道路や公園にごみをすてたことがありません。だから、どうしてすてて行くのかな?と思いました。
ごみひろいをした後の道路や橋は、きれいになりました。わたしは、いつもこんなふうにきれいだったら気持ちよく生活できるだろうな、と思います。
家に帰ると中、
「家の前をそうじしてくれて、ありがとう。」
と言われました。そして、あめをいただきました。「ありがとう」と言われて、心があったかくなりました。
友だちの家に着くと、おばあちゃんが、
「つかれたでしょ。がんばったね。」
とほめてくれました。ごみひろいをしてよかったな、と思いました。
友だちのおばあちゃんに、
「ごみひろいしてきてみる?」
と言われて、ごみひろいをしていなければ、かなしい気持ちやうれしい気持ちになれなかった、と思います。だから、友だちのおばあちゃんに、「ありがとう」とつたえようと思います。
もしも、私の家の前にごみが落ちていたら、きっといやな気持になると思います。だから、わたしはぜったいにすてません。もしも、ごみをすてている人を見かけたら、かならず「すてないでください」と言おうと思います。
わたしたちの町が、いつまでもきれいで気持ちよく生活できる場所であったらいいな、と思います。
そして、もしも落ちているごみを見つけたら、すすんでひろおうと思います。「ありがとう」と言われたときの気持ちを思い出して……。
やさしいエレベーター
山形県 山形大学附属小学校 三年 永井 瑞
スイミングが終わり、私はお姉ちゃんとエレベーターに乗りました。中は、子どもでぎゅうぎゅうでした。みんな早く帰りたそうで、一階ランプがつく前にドアにつめよりました。
「ぎゃあっ。」
私は、動物みたいな声を出してしまいました。急にどっとおされたせいで、エレベーターのドアに手をついてしまい、中指が戸口にぐっと引きこまれたのです。
私のさけび声に、一階にいた大人の人があわててドアをもう一度閉めて、ようやくエレベーターから指がはなれました。
「これはひどい。病院に行こう。」
心配してくれる大人の人たちに、お母さんが近くにいるからと、お姉ちゃんがむかえの場所にはや足で連れて行ってくれました。私のなき顔と赤むらさきの指を見て、待っていたお母さんの顔も変わりました。
車の中で、はれあがって曲げられなくなった指がいたくて、たくさんないてしまいました。ほねがくだけていてもおかしくなかったとお医者さんから言われ、青くなりました。
指は少しずつ治りましたが、それからはこわくて、エレベーターに一人で乗れなくなってしまいました。どうしても乗らなければならないときは、きんちょうで体がかたまってしまうのです。お姉ちゃんがいっしょのときは、手をにぎってもらってす早くおります。ぐずぐずしないで、とにかく早くおりることだけ考えて乗るようになりました。
東京で、エレベーターに乗ったときのことです。に物をたくさん持っていたので、早くおりなきゃと、いつもよりきんちょうしていました。ドアが開かないうちからあせっていた私に、
「ゆっくりでもだいじょうぶよ。」
と、「開」ボタンをおしたまま、お姉さんが声をかけてくれました。私は安心して、ゆっくりおりることができました。ぺこりと頭を下げると、お姉さんはみんなの最後にエレベーターをおりて、バイバイと手をふって行ってしまいました。
空っぽのエレベーターが閉まった後、お姉さんのやさしい顔が心にのこりました。そのとき、わかったことがあります。他の人にやさしいエレベーターは、自分にもやさしいんだ。
それから、エレベーターに乗るときは、みんながおりまで、私が「開」ボタンをおしていることにしました。知らんぷりしておりて行く人、おじぎしておりて行く人、みんながおりた最後にわたしがおります。私も静かにおりられるし、だれも私のようないたい思いをしなくてすみます。
ときどき、「ありがとう」を言われます。私もえがおになります。エレベーターの中の数秒間、私も人の役に立っているのかな、とうれしくなるしゅん間です。
まず自分から
群馬県 西小学校 六年 勅使河原 萌
東京の駅でのこと。
日曜日の駅は、たくさんの人がいそがしそうに行ったり来たりしています。私は、お母さんとはぐれないように歩くだけで精いっぱいで、周りのことはあまり見ていませんでした。
そんなとき、私の背中のほうでドサドサッと何かが落ちる音がしました。
「なんだろうね。」
お母さんとふり返って見ると、おばあさんの持っていた紙ぶくろの底がやぶれてしまったようでした。周りには、紙ぶくろに入っていたおにぎりやスリッパ、新聞がちらばり、ペットボトルが三本、コロコロ転がっていきました。
「だいじょうぶですか?」
と最初に声をかけたのは、高校生ぐらいのお姉さんでした。お姉さんと友だちみたいな別のお姉さんは、二人でちらばった物を拾おうとパンパンたたいてから、
「あー、ふくろがダメじゃん。」
と言うと、
「ねえ、おばあちゃん。こんなふくろでもいいよね。」
と、自分の持っていたふくろをおばあさんに見せながら言いました。
「あっ、こんな所にもあるよ。」
と、お母さんが少しはなれた場所に転がっていたペットボトルを見つけて指をさしたので、私はあわてて拾いに行きました。知らない人に話しかけるのは、ちょっとはずかしかったけれど、
「あの、これも落ちていました。」
と、ペットボトルをおばあさんの前に出すと、
「ありがと。」
と言ってお姉さんが受け取り、新しいふくろの中に入れました。お姉さんは、拾った物を入れたふくろをおばあさんにわたすと、
「じゃあね。」
と言って、手をふりながら改さつ口のほうへ歩いて行ってしましました。おばあさんは、何度も「ありがとうね。」とお礼を言っていたようです。
そんなやりとりを見ていた私に、お母さんは、
「えらい高校生だったね。」
と言い、私は、
「うん。」
と返事をしました。
東京の人はいつも早足で歩いていて、周りのことなんかあまり気にしないのかなあと思っていたので、おばあさんのピンチを助けたことにびっくりしました。私は、おばあさんが困っていたときに、だれかが先に声をかけていなければ、あの転がっていたペットボトルを拾っていなかったかもしれないな、と思います。
だれが見ているとか、だれかがやっているからとか関係なく、自分から最初の一声をかけられるようになりたいと思いました。
ぼくにはできるかな
栃木県 旗川小学校 二年 矢口 俊
「カターン。」
ぼくの前で、つえがおちました。つえをおとしたのは、おじいさんでした。さいしょはちょっと見ていたけれど、おじいさんはこしがいたそうでした。ぼくはまよったけれど、やっぱりひろってあげよう、と思いました。
「はい、どうぞ。」
と、つえをわたすと、
「ありがとう。やさしいね。」
と言ってくれました。ぼくは、とてもうれしい気もちになりました。そのとき、おかあさんが、
「しんせつにしてえらいね。」
とほめてくれました。ぼくでも小さいことなら、しんせつができると思います。ぼくよりも、もっともっとこまっている人は、たくさんいるからです。
たとえば、こしがいたいおじいさんや足がいたいおばあさんがいたら、ぼくは、「何かてつだうことはありませんか」と、こえをかけてあげたいです。また、でん車やバスにのったとき、すわれなくてこまっていそうなおとしよりのかたを見かけたら、ぼくはまよわず、「どうぞ、ここにすわってください」と言いたいです。こまっているおじいさん、おばあさんを見たら、やさしくこえをかけてあげたいです。
でも、知らない人に話しかけるのは、ドキドキします。ちょっとてれてしまいます。つえをおとしたおじいさんにこえをかけたときも、すぐにはこえをかけることができませんでした。だけど、ゆうきをだしてしんせつをしたあとは、とてもうれしい気もちになります。
これからぼくは、もっとゆう気を出して、こえをかけたいと思います。ぼくがこえをかけるだけで、たくさんの人たちがえがおになりそうなかんじがします。もちろん、ぼくもえがおになります。
しんせつは、人をえがおにするまほうみたいです。ぼくも、しんせつというみんなをしあわせにするまほうを、いっぱいつかいたいです。
