被災地を知ろう

被災地への訪問③ コミュニティの力

宮城県石巻市では、東日本大震災のよる津波によって4000人近い犠牲者が出ました。 高台にある幼稚園から、バスに乗って帰されたために亡くなった園児もいます。三陸地域はリアス式海岸ですので、津波も多いのですが、すぐ近くには必…

続きを見る

被災地への訪問② 生かしきれなかった被災体験

前回に続いて、岩手県宮古市田老地区の話です。 この地区には過去の津波の経験から「津波でんでんこ」という言葉があります。でんでんことは、「各自で」「それぞれに」というような意味です。てんでんばらばらと言う言葉に通じます。 …

続きを見る

被災地への訪問① ずっと残り続ける被災の記憶

岩手県宮古市には「田老(たろう)」という地区があります。以前は田老町でしたが、『津波太郎』といわれるほど、津波の多い土地柄で、江戸時代初期の1611年委は慶長三陸沖津波で全滅し、1933年(昭和8年)の昭和三陸津波でも大…

続きを見る

近所づきあいが避難(ひなん)生活をささえてくれました(その5)

宮城県(みやぎけん)・看護師(かんごし)さんの話(その5) 【あらためて、地域(ちいき)のつながりの大切さ】 くり返しになりますが、避難生活(ひなんせいかつ)をのりこえられたのは、地域(ちいき)のつながりがあったからです…

続きを見る

近所づきあいが避難(ひなん)生活をささえてくれました(その4)

宮城県(みやぎけん)・看護師(かんごし)さんの話(その4) 【避難所(ひなんじょ)はどのように運営されていたか】 学校の先生方・PTA・地域(ちいき)の人で構成された避難所本部は、各教室と体育館のエリアごとに班(はん)(…

続きを見る

近所づきあいが避難(ひなん)生活をささえてくれました(その3)

宮城県(みやぎけん)・看護師(かんごし)さんの話(その3) 【みんなでいっしょに、不安な気持ちをのりこえて】 電気はこない、情報もない、まっくらな夜は不安の気持ちを大きくします。 津波(つなみ)の被害(ひがい)が少なかっ…

続きを見る

近所づきあいが避難(ひなん)生活をささえてくれました(その2)

宮城県(みやぎけん)・看護師(かんごし)さんの話(その2) 【ふだんのお付き合いのおかげで】 はじめ、避難所(ひなんじょ)は小学校の体育館だけでしたが、その後人が増え、教室も避難所になりました。 避難した当初は、お年寄り…

続きを見る

近所づきあいが避難(ひなん)生活をささえてくれました

宮城県(みやぎけん)・看護師(かんごし)さんの話(その1) 【避難(ひなん)するとき、声かけの大切さ】 3月11日の地震(じしん)発生後、津波(つなみ)が来る前にとなりの一人ぐらしのおばあちゃんを連れて、近所の小学校に避…

続きを見る