被災地への訪問② 生かしきれなかった被災体験

前回に続いて、岩手県宮古市田老地区の話です。
この地区には過去の津波の経験から「津波でんでんこ」という言葉があります。でんでんことは、「各自で」「それぞれに」というような意味です。てんでんばらばらと言う言葉に通じます。
地震があったら津波が来るので、各自が一人で高台に逃げろ!ということが第一の意味です。実際、小学校に子どもを車で迎えに行ったために、かえって津波の犠牲になったというケースもあります。他の子どもたちは先生の引率で無事だったのです。
「あの時、親に任せずにいっしょに高台に逃げるべきでした」
対応した先生は今でもそれを悔やんでいます。
「津波でんでんこ」という言葉は、ともすれば利己主義な考え方ととらえられてしまう点もありますし、子どもを残して逃げることは到底できないという心情もあるでしょう。
ですが、普段から子どもたちにも同じ心構えをしてもらい、津波がきたらとにかく高台に逃げることを教え続けることが大切なのだと思います。
「津軽でんでんこ」を標語にして防災訓練を行っていた釜石市の小中学校では、登校していた生徒は全員無事で”釜石の奇跡”ともいわれました。しかし、けして奇跡ではなく、日頃の訓練がいざというときの正しい判断に結びついたのです。

話を聞いたご婦人は、高台にある自宅から津波を見ました。
「高台にいるのに、自分よりも高いのではないかと思ったくらい大きかったです」
ふと、視線を下すと、防潮堤や近くの国道から様子を見ている人が見えました。
まだ彼らには津波が見えないのです。
「逃げて~、早く逃げて~」
彼女は大声をあげて叫びますが、とても声は届きません。
やがて下の人たちにも津波が見えたのでしょう。急いで逃げる様子までは見届けましたが。その先は見ていないそうです。
彼女は連絡方法がなかったことを残念に思っています。
「津軽でんでんこ」には、他人を助けられなかった場合でも、それを非難してはならないという裏の意味もあると聞きました。大災害では助かった人にも多くのトラウマを残すからです。
防災意識が高く、教えも多い「田老地区」であっても、過去の経験は一部風化してしまいました。平常時でも「もうわかったよ」というくらいに、教育と訓練をしなければならないのだと感じました。

公益財団法人 JKAのご支援を受けて制作した、紙芝居「つなみのひ」と「まつりのひ」がその一助になるといいと思います。

立命館大学の学生が制作したジオラマ「記憶の街」
立命館大学の学生が制作したジオラマ「記憶の街」

河北新報資料館「絆の駅」
河北新報資料館「絆の駅」


取材:にいのゆうひこ