特集
「小さな親切」とAI ~はがきキャンペーンと作文コンクールの目指すこと~

最近ではAI(人工知能)が急速に進化し、暮らしのさまざまな場面で活用されるようになってきました。文章作成もその一つで、条件を与えると瞬時に整った文章を生み出すことができます。

しかし、「小さな親切」運動本部が主催する「はがきキャンペーン(エッセイコンテスト)」や「作文コンクール」では、AIによる文章生成ツールを使った作品は「審査の対象外」としています。それは両コンクールにおいて、自らの体験を自分の言葉で綴ることが最も大切であり、それが「心を育てる」ことに繋がると考えているからです。

 

AIが書いた文章はどっちだ!?

とはいえ、AIが書いた文章を私たちは見抜けるでしょうか。そこで、高校生以上を対象に600字以内のエッセイを募集している「はがきキャンペーン」の入賞作品をもとに、シチュエーションや筆者の年齢・性別などをAIに指示して文章を書かせてみました。次の2作品のうち、どちらがAIか人の手によるものか、ぜひ想像しながら読んでみてください。

  • 【AIへの指示内容】
  • 夕方の駅付近にある赤い公衆電話を大勢の人が囲んでいる
  • 泣きながら電話で話す中年男性がいた
  • おばあさんが近づいてきて、男性に白いハンカチを渡した
  • 作者はこれを見ていた29歳男性
  • 心あたたまる話に
  • タイトル15字以内、本文350字以内

 

【A】「夕暮れの受話器」

 駅前のロータリー、オレンジに染まる空の下、赤い公衆電話は異様な熱気に包まれていた。何十人もの人だかりの中心で、一人の初老の男性が受話器を握りしめている。その背中からは、嗚咽が漏れ聞こえてくる。 

普段は無関心な東京の群衆も、今日のこの空間では誰もが固唾を飲んで見守っている。 

 すると、白髪の小柄な女性がゆっくりと人垣をかき分け、男性の隣に立った。彼女は何も言わず、ただ優しく、白いハンカチを差し出した。 男性は一瞬、はっとしたように顔を上げ、濡れた目でそのハンカチを受け取った。言葉はなくとも、そこには確かな温かい交流があった。 

こんなにも多くの人が行き交う場所で、こんなにも人間らしい瞬間に立ち会えるとは。冷たいと思っていた東京の夕暮れが、少しだけ、温かく感じられた。

 

 

 

 

 

【B】「おばあさんのハンカチ」

 とある小さな駅でのことでした。夕方のラッシュ時。帰宅を急ぐ人たちが改札付近に群がっています。群衆は赤い公衆電話を囲んでいるのです。

 そこには中年の男性が泣きながら電話をしていました。その男性は電話を抱きかかえて象のように号泣しているのです。よほど悲しいことがあったと見えます。あるいは大切な人が亡くなられた、そのしらせを受けたのかもしれません。

 彼がひとしきり泣くと、腰の曲がったおばあさんが赤電話に近づきました。周りにいた人々は、おばあさんがどうするものかと見守ります。

 するとおばあさんは、懐から白いハンカチを取り出して、うつむいている人の手に持たせました。

「涙をふいてな。それからまたお泣き」

 そう言ってどこかへ消えていきました。

 

 

 

 


 

さて、AIが書いたのはどちらかわかりましたか?

答えは、【A】の「夕暮れの受話器」。【B】は実際の入賞作品です。【A】のエッセイは情景が整然と描かれていて、読みやすい文章ですので、迷った方も多いかもしれません。しかし、どこかまとまりすぎていて、登場人物の感情や筆者自身の思いが伝わりにくい印象があります。

一方で、【B】の作品には「象のように号泣していた」といった筆者独自の表現があり、泣いている男性を見て「よほど悲しいことがあったのだろう」と、相手の心情を想像し、寄り添っているのがAIとの大きな違いです。

そして最後に、「涙をふいてな。それからまたお泣き」とハンカチを渡すおばあさんの言葉。相手へのさりげない優しさが凝縮され、思わずおばあさんの人生にも思いを巡らせたくなるような一言は、まさに生きた人間から発せられた思いやり溢れる言葉です。全体的に淡々とした文章ではあるものの、それがかえって筆者特有の「味」にも感じられます。

 

作文でも検証してみた

続いて、作文でも同じような検証をしてみました。少々長いですが、【A】と【B】どちらがAIの手によるものか、推理しながら読み比べてみてください。

 

【AIへの指示内容】

  • 私は小学校5年の女の子です。
  • 私の母は見知らぬ人にも良く声をかけ、親切にしています。
  • 盆踊りの日、母は知らないおばあさんと、車いすのおじいさんに「大変そうだから」と声をかけてお世話をしていました。そんな母を私は尊敬しています。
  • このことを1200字以内の作文にしてください。

 

【A】やさしいお母さんのせなか

 わたしのお母さんは、見知らぬ人にもよく声をかけます。お店で困っている人がいたり、道で迷っている人がいたりすると、「だいじょうぶですか?」とすぐに声をかけます。わたしはそんなお母さんのことを、ちょっとはずかしいけど、とてもすごいなと思っています。

 このあいだ、町の盆踊りに行ったときのことです。その日は、わたしもお母さんも浴衣を着て、うきうきしながら広場へ行きました。ちょうちんのあかりがきれいで、太鼓の音がドンドンとひびいていて、わたしは早く踊りたくてそわそわしていました。

 でも、お母さんは急に足をとめて、あるふたりに目をとめました。浴衣を着たおばあさんと、車いすに乗ったおじいさんです。まわりには人がいっぱいで、ふたりともあつそうで、すこし大変そうに見えました。

 お母さんはすぐにそのおばあさんに近づいて、「お手伝いしましょうか?」と声をかけました。おばあさんはちょっとびっくりしたような顔をして、それからにっこり笑って、「ありがとねぇ」と言いました。

 わたしもいっしょにそばへ行きました。話を聞いてみると、おばあさんとおじいさんはふうふで、毎年この盆踊りに来ているそうです。でも、今年はおじいさんの足がわるくなって、車いすでしか来られなかったそうです。お母さんは、いっしょにすわれる場所をさがして、「ここなら太鼓もよく見えますよ」とおしえてあげたり、うちわで風を送ってあげたりしていました。おじいさんも、おばあさんも、「あんたみたいな人がいてくれてよかった」と、何度も何度もおれいを言っていました。

 そのとき、わたしはちょっとだけはなれたところから、お母さんのせなかを見ていました。お母さんのせなかは、なんだかいつもより大きく見えて、わたしはすごくあたたかい気持ちになりました。

 わたしだったら、知らない人に声をかけるのは、ちょっとこわいです。でも、お母さんは、ふつうのことみたいにすっと動きます。だれかが困っていたら、すぐに気づいて、そっと手をさしのべる。そんなお母さんを、わたしは心からすごいな、と思います。

 お母さんは、「だれかに親切にすると、自分の心もぽかぽかするんだよ」と言います。わたしも、そんなふうに行動できる人になりたいです。

 これから、わたしもゆっくりと、お母さんみたいになりたいな。わたしのいちばん近くに、わたしのあこがれの人がいてくれて、うれしいです。

 

 

【B】母は私のスーパーヒーロー

 私はおぼんに、家族でぼんおどりに行きました。金魚すくいやヨーヨーつりもやっていて、私と妹はぼんおどりよりも遊びに夢中になってしまいました。たくさん遊んで、お父さんとお母さんのいる席にもどると、お母さんがいなかったので「お母さんは?」とお父さんに聞くと、「あっちだよ。」と指をさしたので、その方を見ると、車いすに乗ったおじいさんとおばあさんとぼんおどりの輪の中にいました。

 私は、(あぁ。介護士をしているお母さんのかん者さんなのかな?)と思いました。お母さんは、車いすをおしてあげたり、おどっているおばあさんの写真をとったり、うちわであおいであげたり、にこにこしながらお手伝いしていました。私は、

 (あんなに楽しそうにお手伝いしているんだから、かん者さんじゃなくて知っている人なのかな?)と今度は思って、お父さんに「あの人たちはお母さんの知り合いなのかな?」と聞くと、「知らない人だと思うよ。」と言うので「え?」と聞き直すと、「おばあちゃんがおじいちゃんの車いすをおしいてるのを見て、行っちゃったよ。お母さん、おせっかいだからなぁ。」と笑っていました。

 さっきまで「暑い、暑い。動きたくない」と言って、すわってばかりのお母さんが、知らないおじいちゃんとおばあちゃんのためにお手伝いに行ったなんて。私は、早くお母さんのお話を聞きたくて、その場に立ったまま待っていました。すると、音楽が止まって、お母さんがもどってきました。

「お母さん!どうしたの?」

 するとお母さんは、「どうしたのって何よ?ぼんおどりしてきたんだよ。」と言うので、「お母さん、ぼんおどり得意なの?」と聞くと、お母さんは大きな声で笑いました。

 「ぼんおどりなんて、おどれないよ。おどれないから見てたら、あそこにいるおじいちゃんとおばあちゃんが見えたの。ゆかたを着てすてきでしょ。おばあちゃんは、手びょうししながら車いすもおして……。忙しそうに見えたから、お手伝いに行ったんだよ。」

 私は、お母さんが人のために行動したことがすごいと思いました。そして、

 「せっかくだから、おばあちゃんおどって!おじいちゃんに見せてあげて!って言ったんだよ。そしたらおばあちゃん、『いいの?』ってよろこんでくれて、おじいちゃんもすごくうれしそうでさ。そんな顔を写真に残してあげたくて、写真もとったんだ。お母さん、汗びっちょりだよ。」と笑っていました。

 知らない人のために行動して笑顔にするなんて、お母さんはヒーローだな、と思いました。

 「お母さんすごい!でも声かけてことわられたらどうしよう、とか思わなかったの?」と聞くと、「ことわられたら、大きなお世話だっただけじゃん。」と笑っていました。

 「親切かどうかは受け取る人の気持ちだから。結果は気にしないで、自分の心が正しいと思うことはやるべきだね。」と、ちょっと得意気に笑うお母さんを、私は自まんに思いました。

 

 

 

 

 

 


 

人が書いた文章の魅力

さて、AIが書いたものはどちらでしょうか。

答えは【A】。起承転結がしっかりとしていて、違和感なく読める、とても精度の高い文章です。

【B】の作品は、実際の小学5年生が書いたもの。お父さんやお母さんとの臨場感のある会話が心に残る作文です。特に、お母さんが発する生き生きとした言葉からは、困っている人を放っておけない人柄がよく伝わってきます。そんな母の姿を間近で見て、驚くと同時に誇りに思う筆者は、「お母さんはスーパーヒーロー」と表現しました。

子どもの場合、印象に残ったできごとや心に強く思ったことを中心に書く傾向がありますので、起承転結が整っていない場合や、表現がややつたないことあります。

しかし、「その子がどう感じたか」「どんな気持ちで体験を振り返ったか」を素直に綴った作品は読み手に伝わり、「うまい文章」「整った文章」よりも、心に響きます。それが自らの体験に裏打ちされた言葉の力、リアルな人間が書く文章の魅力なのではないでしょうか。

 


今回、AIを使った文章と人の手によるものを比較してみて、AIによる文章の精度の高さに驚かされました。AIの方が整っていて読みやすい、と感じた方も多いかもしれません。

しかし、「小さな親切」運動本部の両コンクールが大切にしているのは、書き手の心が伝わる作品です。筆者が自らの体験を振り返り、自分の言葉で表現することで、親切や思いやりの大切さに気づく。そして、その気づきが「心の栄養」となって自らの心を育てます。

AI全盛の時代だからこそ、文章を書く意義、人が書く文章の温かさや力強さを、改めて感じていただきたいと考えています。

 

AIに「小さな親切」はできるのか

 

最後に、AIをテーマにした作品を紹介します。筆者は、福岡県北九州市の中学生。生まれたときからパソコンやインターネットがある「デジタルネイティブ」と呼ばれる世代の彼らが、AIと人間を比較し人のすばらしさを伝えてくれました。

 

 

ちょっとした親切

第49回〈2024年度〉「小さな親切」運動本部賞

北九州市立洞北中学校 1年 野田統希(一部要約・学年は受賞時)

 

近年AIは飛躍的な進化を遂げ、人間の能力を上回る時代になってきている。将来、人間の仕事はAIに取って代わられ、人間は何もしなくてよい時代が来ると言われている。しかし、AIがすべてにおいて人間を上回るわけではなく、苦手なこともある。それは、人の感情を正確に理解することだ。

 例えば「もう結構です」という言葉も、声の大きさや表情によって怒りや諦めなど何通りもの意味を持つ。人間同士の会話には一つの言葉でも意味が正反対になることがあるが、果たしてAIがその違いを正確に判断できるだろうか。

 僕が中学に入ったころ、母の車に乗っていたときのこと。渋滞中、脇道から入れず困っている車がいたが、誰も道を譲らなかった。母は速度を落とし、その車を入れてあげた。そして「いま譲った人がまた別のところで誰かに譲ればいいね」と言った。親切にされれば嬉しくなり、優しい気持ちが生まれる。その優しさが広がれば「親切の輪」となり、世の中はもっとすばらしくなると思う。

 AIの自動運転は正確にルールを守るが、母のように「譲る」判断はしないだろう。ルールを破ることはAIにとってはエラーであり、不良品とされる。しかし人間にとっては、そのエラーこそが思いやりある優しい運転であり、人の心を温かくする。世界中の科学者が研究しても、人の気持ちを汲み取り、ちょっとした親切を実行できるAIは作れないと思う。

 僕には賢いAIを作る頭脳はないけれど、母のように「小さな親切」をすることならできる。「ちょっとした親切」はその場の空気を読み取り、相手の気持ちを正しくくみ取れる人間にしかできない。これからは僕がこの親切の輪を広げ、思いやりあふれる優しい社会を作っていきたい。