特別寄稿  マイバラード ~届けたいメッセージ~

 

松井さん(左)に、三和中学校SAT隊の活動を紹介。ボランティア活動の中で「マイバラード」を歌っていることを大変喜んでくださいました

「みんなで歌おう 心を一つにして」で始まる、合唱の名曲「マイバラード」。
小学校、中学校の合唱コンクールや卒業式で、それこそみんなの心を一つにして歌った思い出深い合唱曲!!という方もたくさんいらっしゃいますよね。
「小さな親切」誌(2019年新春号)で紹介した長崎市立三和中学校SAT隊が、学校内外におけるボランティア活動が高く評価され「小さな親切」実行章を受章した際、表彰式のステージで披露してくれた歌も「マイバラード」でした。
SAT隊の歌声に心を動かされた当団体の小林副代表が、「マイバラード」生みの親である松井孝夫さんにSAT隊の活動をお知らせしたことから縁が繋がり、この度長年の音楽活動を通じて、青少年の心の育成に貢献されたことを感謝して、松井さんに「小さな親切」実行章を贈呈させていただきました。
「マイバラード」は、松井さんが地域ボランティアをする中で生まれた歌ということで、同じ目的で活動しているSAT隊、そしてこの歌が大好きな皆さんのために、「マイバラード」に関わる思い出や、この曲を歌う方、聴く方へのメッセージをお寄せくださいましたのでご紹介いたします。

 

 

マイバラード ~届けたいメッセージ~
松井孝夫(聖徳大学 音楽学部 音楽総合学科 准教授)

 

1.「自分」という殻を破り、「新しい世界」へと飛び込むエネルギーから生まれた歌

マイバラードを語るとしたら、時代をさかのぼること、今から39年ほど前の、私がまだ高校生だったころにタイムスリップします。
私が人生の中で初めて外の世界へ、一歩自分から踏み出そうと試みたのは、ほかでもない、地域のボランティア活動に参加してみようと思ったことでした。
「何か人のためになることをやりたい」「けれど何をしたらいいのか、今ひとつわからない」そんな状況の中で出会ったのが、自立支援サークル「ぽっぽ」だったのです。構成メンバーは、車いすを必要とする重度の障害を持つ人(主に脳性マヒといった病を抱えている方々)、またボランティアとして参加している人(これは幅広くて、大工さん、郵便局員、会社員、消防署員、学生、その他いろいろな職種の方がいて、とても新鮮なものでした)。
活動の中身は、普段あまり外出できない車いすの人たちを、公園、デパート、映画館、音楽会などに連れていき、一緒に楽しいひと時を過ごすというもの。このようなコミュニティの中で、いろいろな人同士がコミュニケーションを交わす中で、「他者を理解する」ことの大切さや難しさを学びました。
サークル活動をするうちにほどなくして、みんなで楽器を奏で、歌をうたう音楽活動をするようになりました。ある秋のこと、ステージで発表する機会をいただきました。そこで自分たちだけのオリジナル曲を歌おうという話になり、「それならば」ということで即座に作った曲が「ぽっぽのバラード」、のちの「マイバラード」でした。

 

2.歌に込めた思い

小林副代表が三和中学校を訪問。SAT隊の皆さんが素敵な歌声で歓迎してくれました

この詩の中で歌われる「♪みんなで」は、障害を持つ人も、持たない人も同じひとりの人間として、みんなで心を一つにして歌おうよ、というメッセージであって、私たちが今いるサークル「ぽっぽ」のみならず、広く世界の人たちにも呼びかけようとしています。
それに加えてもう一つ思いが重なっています。それは、ちょうどそのころ私は教員3年目で、まだまだ新米教師で、生徒の心をつかみきれず悪戦苦闘していました。そんな中で、目の前にいる中学生たちには「もっと心を開いて歌ってほしい」という願いが切実であり、そんな思いも併せて歌に込めました。
特に2番の歌詞に「仲間がここにいるよ、いつも君を見てる 僕らは助け合って 生きていこう いつまでも」という部分では、友だち関係のことでいろいろと悩みを抱えている生徒の姿を思い浮かべながら、仲間を信じて前に進もうという強いメッセージを込めました。
そんなことで、「マイバラード」という曲は、自分自身が身にまとっていた殻を破って、新しい世界へと飛び込んでいったことで得たエネルギーから生まれた、私の記念すべき最初の合唱曲となりました。この歌は、みんなで心を合わせて歌うことで心が一つになり、互いがわかりあえたなら、どんなにか素敵なことだろう・・・そんな思いを詩に託して作りました。
いろいろな思いを持った「人間」ですが、思いを一つにすることで心が通い合い、素敵な世界を築くことができるはずです。そんな平和な世界をイメージして、この曲を歌ってもらえたらうれしいです。ひと言でいうならば、この歌は合唱賛歌なのです。

 

3.パラグアイの現地校で歌われたマイバラードを聴いて

この歌が出版されてから1年もしないうちに、私のもとにカセットテープの入った1通の手紙が届きました。中身は、海外青年協力隊員としてパラグアイの現地の学校に派遣され、あまり教育を受けていないであろう現地の子どもたちに音楽を教えることになった日本人の先生からのものでした。
さらに驚いたのは、カセットテープの中身であって、歌を学校で教わるのはほぼ初めてのような子どもたちに、なんと日本の歌、しかも「マイバラード」をスペイン語に訳して、パラグアイの子どもたちに歌わせたものでした。聴いてみると、スペイン語に訳されたマイバラードをたどたどしくも一生懸命に歌っている様子がひしひしと伝わってくるものでした。
この時、音楽はこんなにも簡単に国境を越えて世界に飛んでいくことができるものなのかと心から驚愕したものでした。自分で作っておきながら、音楽への畏怖なる思いが、ふつふつと湧いてきました。

 

4.創作にかける思い

松井さんに小林副代表から実行章を伝達

マイバラードという合唱曲を作って以来、30数年が経ちます。
そのうちの20数年間は、中学校教員として生徒とともに過ごす中で、作品は生まれました。どの歌もその時々の生徒への思いや願いが込められていたり、またある時は自分自身への応援歌のような気持ちで作ったものもありました。
そして、9年前に中学教員を辞して大学の教員になってからは、中学生という多感な時期を生きる子どもたちと触れあう機会が少なくなったことで、詩が浮かんでこなくなりました。そのことにより、作詞者の方々から詩を提供していただくようになって、新たな境地の中で自分の感性に沿って曲を紡いでいくことができました。
この先のことは自分でもよくわかりませんが、今の自分にしか書けない年相応の曲を細く、長く書き続けていくことと思います。 そして願わくば、多くの人々に愛唱されて、末永く歌われ続ける名作を、これからの人生でせめて1曲は残したいと思っています。