福井県 小浜中学校 一年 小松 結咲
私の住んでいる「西津」地区は、海と山に囲まれた美しい町だ。通っていた小学校には、代々続く伝統行事、「遠泳大会」があり、私はこの行事をとても楽しみにしていた。これは、その遠泳大会を通じて、私が地域の方々の「親切心」を知ることになった体験談である。
私は泳ぐのが好きで、何より海が大好きだから、遠泳大会はとても楽しみだった。けれど、予行練習の時に海にもぐると、
「ん、濁って何も見えないよ。いろいろな物が波にのって流れてきて、それが体にまとわりついて、気持ち悪いよ。」
みんな、口をそろえてそう言った。このことに加え、海岸にはたくさんのごみや網、倒木が流れ着いていて、きれいな海とは程遠く「西津の海で泳ぎたくない」と口にする友達さえいた。私は、いてもたってもいられず、家に帰って祖父に、この日の予行練習でのできごとを話した。
すると祖父は、
「そうかあ、汚かったか。でもな、毎日地域の方々がごみ拾いをしてくれているから、比較的きれいやと思うんやけどなあ。」
と言った。このときの私は、あんなに汚いのに、そんなこと絶対にない、と思っていた。
しかし、とある休日、私が友人宅に向かう途中、思いがけない光景を目にした。地域の方々が、せっせとごみ拾いをしてくださっていたのだ。集められたごみは、意図的に捨てられたペットボトルから、外国から流れ着いたおかしの缶まで、様々だった。
地域の方々は、自らにはまったく関係のない、このきりのないごみを笑顔で拾ってくださっていた。私はこのとき、自分のこれまでの発言に大きな後悔と恥ずかしさを覚えた。自分は何もせず、目の前の現状だけを見てけなしていた西津の海が、実は地域の方々の手によって守られてきたのだ、と気づいたからだ。
翌週、私はもう一度、海岸へ足を運んだ。1週間前と変わらず、地域の方々がごみ拾いをしてくださっていた。
「ありがとうございます。」私は、思わず声をかけた。
「あら、あなた。今度の遠泳でここで泳ぐの?楽しみにしているわ。」
この方々の行動は、私たち生徒のため、そして西津の海を守るためのものであり、決して「親切心」からくるものではない。けれど、私から見れば、思いやりが深く、みんなのために好意をもってのふるまいで、親切心に他ならない。「小さな親切」ならぬ、「大きな親切」である。
私は、この体験を機に、心にちかったことがある。それは、今ある海の姿を当たり前と思わず、見えないところで海をきれいにと行動してくださる方々に対する、感謝の気持ちを忘れないこと。
そして、私も親切心を意識しない、心からの思いやりのある行動で生きていこう、と。